2020年05月10日 遠隔授業では、学生の成績差は対面授業の比ではないと思う理由
【遠隔授業について】
遠隔授業についてはたくさんの記事がすでに配信されている。Facebook上では大学教員のグループがあって、そこでどのようにすればスムーズに遠隔授業が行えるかについて、いろいろな議論が交わされている。例えば下のようなもの。
「コロナで危機の大学教育、遠隔授業は救世主になるか」(JBPress)
「大学教員、のしかかる負担」(毎日新聞)
このほか、ネットでは見つけられなかったが、毎日新聞の紙面版では5月9日(土)の記事に「対面講義不要? 教員焦り」というタイトルで記事がある。
どの記事にも共通点があって、それは、遠隔授業の課題を「対面授業にいかに近づけるか?」というところに措いている点である。
その結果だと思うが、教育目標の設定が、つまりはシラバスの内容が、以前と同じになっている。
それは無理であると思う。
遠隔授業というものは、対面授業とはまったく別のものであり、別の能力を測る。そして、同時に学生の能力を伸ばす可能性を多々秘めている。
教員は、遠隔授業をしながら、今後復活するであろう対面授業の新しいあり方について考える必要がある。
学生は、いままでと同じような姿勢で授業を受けていると、気づいたら隣のあいつにものすごく差をつけられていた、ということになりかねない。そしてそれは、コロナ後、ずっと続く、というようなことを覚悟した方がいい。
以下、遠隔授業は対面授業と何が違っているかについて書いた。その中で、学生の能力にものすごく差がつくだろうということを言っている。
★★★★★★★
上記、毎日新聞の紙面版の記事では、遠隔ならNHKの番組のほうがクォリティーが高いという意見や、全国の人気講師に学生が持っていかれるといった懸念が書かれている。記事はそれらを紹介して、大学教員の苦悩を描いている。
まだ始まったばかりで分からないことが多いが、いくつか思ったことを羅列すると、
1 対面と同じことを、同じようにすることは不可能。
2 これまで以上に、学生の自主性が重んじられる。(暫時、大学教育ということだけに限定すれば、それは歓迎されるべきことだと思う)
3 遠隔授業に対して学生は、「気分転換」を求めている。
ということである。
1については自明のことで、接続環境の問題等で、ずっと繋ぎ続けることは難しいし、人数が増えた場合には学生は顔を見せたがらない。ので、まったく異なる方法を検討すべき。
2も、1から考えれば当然の帰結である。教員と「接触」する時間が限られるのだから、教員はこれまでやっていた「サービス」ができない。具体的にはプリントを準備して印刷して配る(こんなことしてた人がどれくらいいるのかは知りませんが)とか、教室をぐるぐるまわって学生の状況を把握するとか。
そもそも、学生は顔を見せたがらないので、子供たちが何をしているか分からない。
個人的にはこれはともにいいことであると思っている。資料はサイトにアップ。それをダウンロードして授業に「来る」なり、課題をやると指示しておく。
「指示どおりに動こうと思えば動くことができる」というのは、本当は大学の間に身につけておかなければならない重要極まりない能力であるはずなのに、「学生さんはお客様です」的な言説のせいで、彼らがやるべきことを全部先生が「奪って」きた。つまりは、やってあげていた。今回、遠隔になって、指示したことが出来る子と、出来ない子の差はおそろしく明白。それは、対面では見えなかったことなのかもしれない。
顔を見せたがらないのも、最初は嫌やなーと思っていたけれど、プライバシーの問題とかで仕方ない。顔見せろと強要すると、ハラスメントになると思う。とすると、聞いていたか聞いていなかったかを、別の方法で確認するしかない。
一つの方法はZOOMのブレイクアウトセッションを利用することである。ちっちゃなグループに分かれて活動するための機能だが、先生がブレイクアウトセッションを開始させると、学生側は「参加する」というボタンを押すように求められるようだ。その場にいない学生は、グループに参加しない(ボタンを押さない)。話しかけても返事しない。ので、その学生だけが画面に表示されたままになる(=他の学生は各々のグループに「旅立つ」)。
ここまで来ると、減点対象としても良いように思う。グループ活動が苦手な学生には配慮が必要ということになっているので、授業に来るのは自由ということにしてある。この場合、授業に来たほうが、授業に来ないより減点されるということがあり得る。世の中そういうもんである。
2が長くなるが、学生には、遠隔授業では、課外学習がこれまでより遥かに重視されることを伝えたほうが良い。これも同じ。先生との接触が少ないことと、大学では学生の最終的な目標や出口のあり方が千差万別であることを考えれば、授業を聞いただけで何かが完結することはあり得ない。先生が指導する時間が限られるなら、その完結しない部分を自分で見つけ出す力、足りないところをなんとかして埋めようとする試行錯誤、その過程で磨かれる知性と探究の力、そういうものが求められる。
容易に想像がつくと思うが、めちゃくちゃ差が出ます。その差は、対面のときとは比べ物にならないことになるだろう。それは、やらない子が落ちこぼれるのではなく、やる子がとんでもなく伸びるからなのだと思う。その意味でも、これまでの教育はサービス過剰であったのだ。過剰なサービスは甘やかしを生む。
3について。学生のコメントを見ていると、この特殊な状況においては、「久しぶりに同じくらいの歳の人と話せてよかった」的なコメントをする学生がちらほらいる。先述のブレイクアウトセッションを用いれば、まったくランダムにグルーピングされるので、知らない人と話す機会にもなっているようである。
授業のうち一度はこの、「学生が喋る時間」を作るというのは重要。なんなら「雑談してください」でも良い。
★★★★★
ざっと思いついたことを書いてみたが、遠隔授業は、対面授業とは違うのだというごく当たり前のことを分析してみると、そのやり方も、求める能力も、違ってくるだろうと思う。この際、学生に好きなようにやってもらうのが良い。バラバラのパフォーマンスを評価するのは骨が折れる。その負担増はもう諦めた。
実験系、フィールドワーク実習等、対面でなければ出来ない授業のことは、ここでは考慮していない。その点悪しからず。
ただ、日本語教育演習は、少人数ならかろうじてできそうな気がしている。
★★★★★
最後に。
保護者として大学に子供を入学させたらいきなり遠隔授業になりましたという先輩というラインで話した。
高校生の親であるところの友人とはこちらのコメント欄でやり取りしたので、見られるようになっている。
保護者側の方々が何を見ておられるのかを聞くのは興味深い。
本当は、学生は何を思って、保護者は何を見ているのか。また教えてくだっせ。
★★★★★
遠隔授業についてはたくさんの記事がすでに配信されている。Facebook上では大学教員のグループがあって、そこでどのようにすればスムーズに遠隔授業が行えるかについて、いろいろな議論が交わされている。例えば下のようなもの。
「コロナで危機の大学教育、遠隔授業は救世主になるか」(JBPress)
「大学教員、のしかかる負担」(毎日新聞)
このほか、ネットでは見つけられなかったが、毎日新聞の紙面版では5月9日(土)の記事に「対面講義不要? 教員焦り」というタイトルで記事がある。
どの記事にも共通点があって、それは、遠隔授業の課題を「対面授業にいかに近づけるか?」というところに措いている点である。
その結果だと思うが、教育目標の設定が、つまりはシラバスの内容が、以前と同じになっている。
それは無理であると思う。
遠隔授業というものは、対面授業とはまったく別のものであり、別の能力を測る。そして、同時に学生の能力を伸ばす可能性を多々秘めている。
教員は、遠隔授業をしながら、今後復活するであろう対面授業の新しいあり方について考える必要がある。
学生は、いままでと同じような姿勢で授業を受けていると、気づいたら隣のあいつにものすごく差をつけられていた、ということになりかねない。そしてそれは、コロナ後、ずっと続く、というようなことを覚悟した方がいい。
以下、遠隔授業は対面授業と何が違っているかについて書いた。その中で、学生の能力にものすごく差がつくだろうということを言っている。
★★★★★★★
上記、毎日新聞の紙面版の記事では、遠隔ならNHKの番組のほうがクォリティーが高いという意見や、全国の人気講師に学生が持っていかれるといった懸念が書かれている。記事はそれらを紹介して、大学教員の苦悩を描いている。
まだ始まったばかりで分からないことが多いが、いくつか思ったことを羅列すると、
1 対面と同じことを、同じようにすることは不可能。
2 これまで以上に、学生の自主性が重んじられる。(暫時、大学教育ということだけに限定すれば、それは歓迎されるべきことだと思う)
3 遠隔授業に対して学生は、「気分転換」を求めている。
ということである。
1については自明のことで、接続環境の問題等で、ずっと繋ぎ続けることは難しいし、人数が増えた場合には学生は顔を見せたがらない。ので、まったく異なる方法を検討すべき。
2も、1から考えれば当然の帰結である。教員と「接触」する時間が限られるのだから、教員はこれまでやっていた「サービス」ができない。具体的にはプリントを準備して印刷して配る(こんなことしてた人がどれくらいいるのかは知りませんが)とか、教室をぐるぐるまわって学生の状況を把握するとか。
そもそも、学生は顔を見せたがらないので、子供たちが何をしているか分からない。
個人的にはこれはともにいいことであると思っている。資料はサイトにアップ。それをダウンロードして授業に「来る」なり、課題をやると指示しておく。
「指示どおりに動こうと思えば動くことができる」というのは、本当は大学の間に身につけておかなければならない重要極まりない能力であるはずなのに、「学生さんはお客様です」的な言説のせいで、彼らがやるべきことを全部先生が「奪って」きた。つまりは、やってあげていた。今回、遠隔になって、指示したことが出来る子と、出来ない子の差はおそろしく明白。それは、対面では見えなかったことなのかもしれない。
顔を見せたがらないのも、最初は嫌やなーと思っていたけれど、プライバシーの問題とかで仕方ない。顔見せろと強要すると、ハラスメントになると思う。とすると、聞いていたか聞いていなかったかを、別の方法で確認するしかない。
一つの方法はZOOMのブレイクアウトセッションを利用することである。ちっちゃなグループに分かれて活動するための機能だが、先生がブレイクアウトセッションを開始させると、学生側は「参加する」というボタンを押すように求められるようだ。その場にいない学生は、グループに参加しない(ボタンを押さない)。話しかけても返事しない。ので、その学生だけが画面に表示されたままになる(=他の学生は各々のグループに「旅立つ」)。
ここまで来ると、減点対象としても良いように思う。グループ活動が苦手な学生には配慮が必要ということになっているので、授業に来るのは自由ということにしてある。この場合、授業に来たほうが、授業に来ないより減点されるということがあり得る。世の中そういうもんである。
2が長くなるが、学生には、遠隔授業では、課外学習がこれまでより遥かに重視されることを伝えたほうが良い。これも同じ。先生との接触が少ないことと、大学では学生の最終的な目標や出口のあり方が千差万別であることを考えれば、授業を聞いただけで何かが完結することはあり得ない。先生が指導する時間が限られるなら、その完結しない部分を自分で見つけ出す力、足りないところをなんとかして埋めようとする試行錯誤、その過程で磨かれる知性と探究の力、そういうものが求められる。
容易に想像がつくと思うが、めちゃくちゃ差が出ます。その差は、対面のときとは比べ物にならないことになるだろう。それは、やらない子が落ちこぼれるのではなく、やる子がとんでもなく伸びるからなのだと思う。その意味でも、これまでの教育はサービス過剰であったのだ。過剰なサービスは甘やかしを生む。
3について。学生のコメントを見ていると、この特殊な状況においては、「久しぶりに同じくらいの歳の人と話せてよかった」的なコメントをする学生がちらほらいる。先述のブレイクアウトセッションを用いれば、まったくランダムにグルーピングされるので、知らない人と話す機会にもなっているようである。
授業のうち一度はこの、「学生が喋る時間」を作るというのは重要。なんなら「雑談してください」でも良い。
★★★★★
ざっと思いついたことを書いてみたが、遠隔授業は、対面授業とは違うのだというごく当たり前のことを分析してみると、そのやり方も、求める能力も、違ってくるだろうと思う。この際、学生に好きなようにやってもらうのが良い。バラバラのパフォーマンスを評価するのは骨が折れる。その負担増はもう諦めた。
実験系、フィールドワーク実習等、対面でなければ出来ない授業のことは、ここでは考慮していない。その点悪しからず。
ただ、日本語教育演習は、少人数ならかろうじてできそうな気がしている。
★★★★★
最後に。
保護者として大学に子供を入学させたらいきなり遠隔授業になりましたという先輩というラインで話した。
高校生の親であるところの友人とはこちらのコメント欄でやり取りしたので、見られるようになっている。
保護者側の方々が何を見ておられるのかを聞くのは興味深い。
本当は、学生は何を思って、保護者は何を見ているのか。また教えてくだっせ。
★★★★★